徳のない人

参院選に向け、菅新内閣の誕生で、ドンゾコだった内閣支持率はV字回復した。
最大の理由は、小沢氏の幹事長辞任と内閣・党人事における「脱小沢」にあると
言われている。

菅新政権の船出となった7日の民主党の両院議会総会。
そこに、小沢氏の姿は無かった。
これまでも、大事な会議に欠席することがしばしばあったと言う。

こんな人は、実に厄介である。
一体、何が不満なのだろう、と周囲の疑心暗鬼を生み、姿なきゆえに、余計
暗黙の圧力がかかる。

また、電話に出ないのも小沢政治の特徴であるらしい。
今度も、菅氏が、何度も電話連絡を試みたが出来なかったという。
枝野新幹事長が小沢氏に会えたのは、就任して2日後、それもわずか 3分
だった。。。

思う通りにならないと姿を消し、あるいは口を閉ざし、不機嫌さをアピールする
人がいる。
そうすることで、周囲を圧迫し、意のままに動かそうとでも思っているのだろうか。

こんなタイプは、権力や、財力で、自分に影響力や支配力があると思っている
ことが多い。
しかし、大事な徳がないから、財や地位や立場を失えば、潮を引いたように
人も去る。

思えば、孤独で気の毒な人たちだ。
そんな人に振り回される人も不幸である。

財も名誉も人気も、元になるのはその人の徳。。。
だから、徳積めば、人も集まり、金も自由になるものと教えられるのである。

どの道もそうだが、徳ある政治家が集まれば、日本も今より住みやすくなるだろう。
明日、公示の参院選を控え、どこも支持率に汲々としているに違いない。

オレが、オレがの我利我利根性をふり捨てて、おかげ、おかげと国民が暮らしよく
納得する政策を望みたいものである☆

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親鸞聖人降誕会とは。。。

大河ドラマの「龍馬伝」が好評らしい。

作家の司馬遼太郎氏は、「日本史が坂本竜馬を持ったことは、それ自体が奇蹟で
あった。なぜなら、天がこの奇蹟的人物を恵まなかったならば、歴史はあるいは
変わっていたのではないか」と書いている。

一介の浪人に近い竜馬だが、薩長同盟を成立させ、大政奉還を提言し、明治維新と
いう劇的な変革に向かって激動の時代を駆け抜けた。

この時代、この国に、この人物が生まれなかったら歴史は変わっていた、と言われる
人は少なくない。
遡れば、信長、秀吉、家康も時代を変えた人物と言えるだろう。

しかし、これらの人達が遺していったものは、何だろう。
一体、どれだけの人を、幸せに救ったと言えるのだろうか。

確かに、この人がいたから助かった、と喜ぶ出会いはこの世にある。
しかし、助かったと言っても、死んでいく時は「露と落ち、露と消えゆく」儚い人生。。。

我々が真に求める変わらぬ幸福とは、かけ離れた救いではなかろうか。

長い歴史の中で、おびただしい数の政権交代あり、世の流れを変える人が現れては
消えていった。しかし、そのたび期待した真の幸せはそこになく、アキラメの深い闇に
沈んできたのが、我々人類の歴史ではなかっただろうか。

その絶望感で途方に暮れる古今東西の全人類に、変わらぬ究極の幸福がここにある、
とあきらかにされたお方が親鸞聖人なのである。

「歴史上の人物ベストワン」と、その名も輝く世界の光。。。
そう、世界の人が真に救われるたった一つの教えである。

「どんな人にも果たすべき人生の目的がある。それは、よくぞ人間に生まれたものぞ、
の生命の大歓喜を獲て、未来永遠の幸福に生かされることだ。だからその身に救わ
れるまでは、どんなに苦しくとも生き抜きなさいよ」。

闇に泣く私たちに、真実の仏法を、命がけであきらかにして下された親鸞聖人。。。

聖人の妥協を許さぬ90年の凄ましいご布教なかりせば、真の生きる目的を知ることは
できなかった。
絶対の幸福に向かって生きる、今の幸せな人生は有り得なかった。。。

人生の目的と言っても、一生、二生の問題ではない。
昿劫多生、微塵劫の過去世から求めてきた、大宇宙のすべての人が救われる、
唯一つの往生極楽の無上道なのである。

その妙法を、何の間違いで知らされたのか、深き大恩を思えば、降誕会はいかなる
大事か、どんな聞法のご縁であるか、親鸞学徒はどうあるべきか、言うまでもないこと
だろう。

龍馬は「世に生を得るは事を為すにあり」と、人生の目的を果たす為に生まれてきた
のだ、と言っている。
人生には目的があると言いながら、真の目的を知らず、刺客に襲われ、33歳で
落命した龍馬。。。

その龍馬の「何の志ざしもなき所に、ぐずぐずして日を送は、実に大馬鹿者なり」の
言葉を、真の目的を知らされた、親鸞学徒は、どう受け取ればよいのだろう。

ひたすら「聞思して遅慮することなかれ」の聖人の仰せに従うのみ。。。
明日は、その親鸞聖人の降誕会である☆

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慈悲蒔く人に

東アフリカ・ケニアで母と慕われる日本人がいる。
岸田袈裟さん。。。
30年以上、ケニアの生活改善などに取り組んだ上郷出身の女性である。

その顕著な功績が認められ、かつては読売国際協力賞も受賞されたが、
今年2月、66歳で逝去された。

最初は栄養学の研究者として、食生活を調査するためにアフリカに行かれた
と言う。
ところが、現地の窮状を見かね、何とか救いたいと、日本式のカマドを造り、
水を煮沸して飲むように徹底したところ、乳児の死亡率が激減。
また、トウモロコシの皮で編んだ草履を履かせることで、子供達の足が守ら
れるようになった。

そうしておよそ30年、現地に密着して様々な活動を展開し、ケニアの人の
健康と生活レベルの向上に貢献したと言われている。

岸田さんを母のように慕い、村には「キシダ」と命名された子供が、幾人も
いるそうだ。

ご主人や子供さんもいて、人生の半分をケニアに尽くされた、と聞けば、
同じ主婦として、家庭や育児の両立に、どれだけ苦労があっただろうと
偲ばれるもの。

だが、やっぱり「親の背を見て、子は育つ」。。。
子供さん2人とも、海外で医師として活躍されているそうである。

ひたすら困窮している人達を助けたいと、自ら困難な道に飛び込み、長年
苦労していった母の姿に、大きく影響されたのだろう。

また、岸田さんがケニアの人々にそうであったように、家庭でも、子供達に
慈愛深く接していたに違いない。

子供にこうなってもらいたいと願う親は多いが、まず自らそれを「姿にかけて
見せる」覚悟が大事なのだろう。

まして、間違いない教えを知らされ、子にも聞いてもらいたいと切に願う
親鸞学徒なら、なおさらのこと。

親鸞聖人の教えは、世界に二つとない無上甚深の教えであるから、始め
から聞かなくて当たり前。
だから、それを自覚するほど、聞かない相手を見下したり、腹を立てるのは、
とんでもないことと知らされる。

深い教えを伝えるには、まず、聞かせたい相手の望むことを的確に知り、
応じる心がけが大切と、このたびも教えて頂いた。

親でも子でも、慈悲蒔くあたたかき人こそ慕われるもの。
その姿をして何かあると知らされた人は、やがて仏法を聞かれるご縁に
恵まれることだろう。

遠くに行かなくても、世は愁苦で乱れ、救いを求める窮状は続いている。
真に救われる道を知らされた学徒同志は、この惨状に飛び込んで、姿に
かけて法を伝え、共に勇んで光に向かって進みたい☆

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移ろいの教育現場も。。。

帰宅途中に近くの小学校を通ると、あちこちの教室から明りが見える。
新学期が始まる頃から、それも、夜の8時や9時のこと。。。
教師もこの時期、特に忙しいのだろう。

来年春から実施の新学習指導要領に基づき、算数や理科の教科書のページ数が
約3割増え、内容も濃くなると言う。

何とか授業時間を確保しようと、「2学期制」の導入や夏休みを短縮する動きが
公立小中学校を中心に広がっているそうだ。

3学期制に比べ、始業式、終業式が1回省略される分、授業時間が増え、教師の
通知表にかける労力が、子供達に向けられるという。

何とか学力をつけたいと必死に取り組む現場の意気込みが、痛いほど伝わって
くる。

長女が小学生の頃は、詰め込み教育、偏差値重視が批判され、「ゆとり教育」が
実施されたもの。。。

土曜は休みとなり、週末の子供連れの聞法に支障がなくなった。

学徒にとっては大歓迎だったが、ここに至って子供達の学力低下が指摘され、
振り子のように戻ったのだろう。

教育にかける気持ちが強いほど、コロコロ変わる方針に、振り回される子供も現場も、
そして親も大変なことに違いない。

小学校から中学と学力をつけて、少しでも上の高校へ。。。
過酷な受験勉強で、必死に一つの関門をくぐり抜けても、なおも続く熾烈なレースに、
子供達は問うだろう。

「なぜこうまでして勉強しなくちゃいけないの?」

この真剣な問いに、どんな答えを教師や親は持っているのだろうか。

強いストレスから精神性疾患で休職する教師が、年間5000人を超えると言う。

かつて、希望に燃えて教職についた人達も、きっと自身に問うているはず。。。
「こうまでして、教える目的は何なのか」
「苦しい人生、何のために生きるのか」。。。

学習指導要綱や、周囲の意識が変わっても、勉強するのも教えるのも、答えは、
人生の目的を果たすため。
それはいつでも変わらない。

その一番大事で、最も知りたい「生きる目的」を知らされた親鸞学徒の幸せは、
果てしなく広く深い。。。
それだけ、使命の大きさも自覚せねばならないだろう。

知らされた時は一人でも、親は子に、子なら親に伝えていく。。。

愛しい者同士が、「なぜ生きる」にド真剣に向き合ってこそ、自身も家族も光に
向かう大きな一歩となり、やがて永遠の絆となっていくのでなかろうか。

変わりづくめの世事情をみるにつけ、不変の幸せを身近に伝えたいと思うばかり
である☆

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なぜ生きる

あっと言う間に4月になった。
時の流れは年々速さを増し、待ち遠しいという感覚が薄れていく。

長女も3月下旬に帰省したのだが、この日曜には戻っていくし、その後は、次女の
入学式もある。
卒業、入学と迎えるこの季節は、特にあわただしい。。。

子供が独立すると、その感覚も薄れ、速度を増して後生に突進していくのだろう。

団塊世代が退職を迎え、第二の人生と位置づけて、いろいろな生き方が模索されて
いるようだ。
「老いを楽しむ」とか、中には「ステキな旅立ち」として「葬式」や「墓」についてもある。

そんなことが身近に感じられる年齢になったということ。
肉体の後始末は、それとして、「自分」はどこへ旅立つと思っているのだろう。

次第に筋萎縮と筋力低下が進行していく、筋ジストロフィーと言われる遺伝性筋疾患
がある。
手足だけでなく、やがて声を出すことも、周囲に意志や気持ちを伝える手段もなくなっ
ていく。

生きながら他者との関わりを遮断される闇へ向かって、ゆっくりと、だが確実に進行
するのだ。

独り閉ざされた闇に向かう絶望感はいかなるものだろう。
その残酷さ、悲しみは想像を絶するものに違いない。

患者は死と生のはざまで、発信する。
「絶望という闇に向かって生きる意味がわからない。死を選んでなぜ悪い」。。。

周囲は、「悲しむ家族のために生きよ」と言う。

家族のために生きて苦しみを延ばせと言われても、絶望の淵に立つ当人にとって、
どれだけの説得力があるだろう。

元気な時は、肉体の葬式しか思い浮かばないもの。
動かなくなる肉体を持てば、それを司る「自分」の「心」を見つめずにおれなくなる。

筋力低下で、「なぜ生きる」を問う真剣さは、健康を信じて疑わない者とはダントツに
開きがあるだろう。

病を縁に、滅びる「肉体」から、「心」に踏み込んで、「なぜ生きる」の答えを、仏教に
知れば、すべては報われる苦労となる。

仏教では、一念で救うと誓われた弥陀の本願が、「なぜ生きる」の解答だと教えられ
ている。
その弥陀の救いにあうために、一分一秒でも、どんなに苦しくても、生きねばならぬ
のは言うまでもない。

二千畳で親鸞聖人の教えから、その凄い弥陀の救いを、やがて死ぬ、すべての人に
ぜひ聞いてもらいたいものである☆

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