幸せと不幸の分かれ道
「小公女」という小説がある。
アニメやドラマにもなっていたようだが、小学生の頃、読んだこの本のある場面が、
なぜか今も心に残っている。
大金持ちから一転、貧しい孤児となった主人公セーラは、使用人として、その日
一日の食べ物にも事欠く日々。
空腹で倒れそうなある日、パンを9個手に入れる。
ところが、おなかをすかせた物乞いにせがまれて、1個、2個と与えていくうち、
乞われるままに8個も手離してしまうのだ。
自分の手元に残ったのは、わずかに小さなパン1個。。。
どうしてこの場面が、何十年もたって、未だ頭の片隅に残っているのだろう。
パンの数は「9個」であったか、相手が「物乞い」であったか、細かいことは記憶
違いかもしれない。が、当時の食欲旺盛な私にとって、セーラの行為はかなりの
衝撃だった。
自分より、まず他人へ。。。
裕福な時ならともかく、自分も窮しているにかかわらず、その高貴な精神に、
心打たれたのだろう。
与えるものは、恵まれる。
これは、大宇宙の真理である因果の道理。
善因善果、自因自果。布施するものは、幸せになる。
しかし、分かっていても実行は、なかなか難しい。
与えるどころか、どうしたら自分のものになるか、手に入れることができるかと、
朝から晩まで、そればかり。
生きるとは、一面、限りあるものの壮絶な奪い合いでなかろうか。
経済にしても、政治にしても、戦争や、個々の諍いも。。。
だから、まず奪う、という発想である限り、幸福の実現は望めない。
幸せになりたかったら、心の向きを大きく変えて、与えることだけ考える。
あの人には、何を与えよう、この人は、何を喜ぶだろう。。。
そして、親鸞学徒は、何より、すべての人が救われる本当の教えを伝える
法施が一番と、知らされる。
口さえあれば、元手はいらぬ。幸せになれるか否かは、心がけ次第。
利他の精神で、光に向かって実践したい☆





