美しい日本

桜の開花が待たれる3月は、別れの季節でもある。

「仰げば尊し 我が師の恩~」で始まる「仰げばとうとし」は、卒業式シーズンに、
ちまたでよく聞かれる歌であるが、歌詞をよく聞けば、なかなか感慨深いもの。

我が師とは、勿論、学校で教えを頂いた先生、のこと。
その師の恩を、仰ぐとは。。。

小学生の頃、教師は、とても偉大な存在だった。

ピカピカの小学1年の頃、「先生が来た、来た」とはしゃいでいたら、その担任の
先生から「先生に対しては、いらっしゃいました、である。言い直しなさい」と厳しく
叱られた覚えがある。

初老の女の先生であったが、今思えば、明治生まれの方だったと思う。
見るからに威厳があり、背筋がぴんと伸びていた。

三尺下がって師の影を踏まず。。。

そんな敬い近寄りがたい先生だったから、接する言葉としては、まさに「仰ぐ」が
ぴったりだった。

「尊し」はどうか。
これは、師に対する「恩」を知って初めて尊い気持ちが起こるもの。

仏教では、「恩を知らざるものは畜生よりも甚だし」と経典にあるように、恩を知る
ことは、人間として最も大切なことと教えられる。

自分が今こうして生きているのは、親をはじめ、先生、周囲のさまざまな人達の
おかげ。。。
それが知らされれば、感謝の心が湧いてくる。

教師とは、学問的な知識も豊富であったに違いないが、毅然として、善悪を諭し、
時に厳しく指導する人格者であった。

だから、その昔、師を敬い、受けし恩を尊ぶ気持ちは、格別だったのである。

滅多に泣かない自分も、小学校の卒業式には、この歌の心を、別れる教師に
重ね、泣かずにおれなかったし、そんな友が多かった。

知育だけでない、徳育が広くなされていた時代があったのである。

ああ、懐かしき頃よ。。。

この季節、花びらが舞う桜のように、確かに「美しい日本」があったのだ。

戦後、日本は高度経済成長の波に乗り、最先端の科学技術国となり、物は
豊かで、自由が保障されている。

しかし、親を殺し、師を謗り、恩知らずで、感謝を知らない貧しい国となっては、
決して「美しい」とは言えないだろう。

人間の生きる真の道を、あきらかに進ませて頂ける親鸞学徒は、本当の意味で
ご恩を知り、感じて報いずにおれない幸せ者である。

すべての人が幸せになれる教えを知らされてこそ、そのご恩の深きことを知り、
「美しい日本」の未来が見えてくる。

大きな夢に向かって、今日も一日光に向かって精一杯進ませて頂こう。
そう、これが、全人類の生きる道。。。
志を高く、いつまでも美しく生きたいものである☆

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バケツの教訓

バケツのたとえで、面白い話を聞いたことがある。

何も入っていないバケツに水を入れると、そのうち水が溢れ出る。

バケツの中に水を溜めていくことを仕事にたとえるならば、どれだけ水を入れたかは、
外から見えず、自分でもわからない。

仕事をコツコツ頑張って、水を溜めている人、一方で、それを横目で見ながら、ブラブラ
している人がいる。

どちらも客観的に見て、まだバケツの外に水は流れ出していない。

そうすると、ブラブラしている人も「ああ、同じだ。私も外へ溢れていないが、あの人も
あふれていない」と思うだろう。

どちらも外に溢れていないうちは、誰も評価してくれず、自分でもわからない。

ところが、ある時、コツコツ頑張っていた人のバケツから突然、水があふれ出す。。。

「しまった」と焦ったところで、水を入れる努力を怠っておれば、どうにもならぬ。
そこから頑張っても、バケツに水をためるには、10年はかかる、という話。。。

これは、なかなかおそろしい。

同じ仕事をしていても、結果がどちらも出ないとき、「ああ、同じだ。」とつい油断を
してしまうもの。

しかし、水が溢れていなくても、9割まで溜まったバケツもあれば、1割しか入って
いないものもあるだろう。

外見から判断できなくても、溜めた水量は、格段に差がついている。

だから、9割まで溜まっていた人の水が、突然溢れ出すのを見た時、初めて愕然とし、
己の懈怠を後悔するのである。

小さなコップにためる水のように、小さな目標に向かってならば、少々立ち遅れても、
取り返しがつくだろう。

しかし、親鸞学徒の向かう先は、バケツどころか、大宇宙を持ち上げるより重いと教え
られる多生の大目的である。

光に向かう精一杯の種まきか否かで、年々差がつき、やがて受ける未来の果報が
大きく異なってくるに違いない。

1日1日が、取り返しのつかない貴重な日々。。。
油断なく言い訳なく、力尽きるまで、光に向かって進ませて頂こう☆

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「食育」の真の目的

2008年、小中学校の学習指導要領に初めて「食育の推進」が盛り込まれた。

「三つ子の魂百まで」と言われるように、成人してから食習慣を改善するのは
なかなか難しい。

服部栄養専門学校校長、服部幸應さんは、今の日本は、6つの「こ食」が問題
と主張する。

「一人で食べる孤食」
「好きなものしか食べない固食」
「パンなど粉製品を多く食べる粉食」
「家族がばらばらに好みの料理を食べる個食」
「量が少ない小食」
「味の濃い料理を好んで食べる濃食」の6つ。

確かに、こんな食生活が続けば、将来の健康体は、残念ながら望めないだろう。

そもそも「食育」とは、最近、耳にするようになった言葉で、昔の辞書を引いても
出てこない。

大体、一昔前の日本の食は、模範的と世界でも注目されていたのである。

嫌いなものは、食べるまで何も与えられなかったし、米食が中心だったから、
おかずも2、3品あった。

3世代が一堂で、それぞれ好む料理が並び、兄弟がそれを競うように食し、
栄養も量もバランスよく取れたのだろう。

よく食べ、大きく育ち、元気に遊び、子供達は、外で思い切りはじけた時代が
あったのである。

「食」という字は、「人」が「良」くなるためにと書く。

健康に育つために、「食育」は不可欠な時代となったが、昔も今も、食べて、
どこに向かって「良」く生きるのか。

生きている以上、生きる目的に向かって、少しでも向上するための「食」で
なければ、食べる意味もなくなってしまう。。。

よく食べ、健康を保つのは、生きる目的を果たすため。

生きる意味を知らされた親鸞学徒の親として、食育も、この根底の目的まで
掘り下げて、ぜひ小中学校の学習要領に取り上げてもらいたいものである☆

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ほめる達人

褒める力を試す「ほめ達(ほめる達人)」検定試験が、今月大阪でスタートした。

試験の内容は、短所を長所に言い換えたり、身近な人や物の価値を見つけて
書き出す問題。。。

たとえば、「空気が読めない」という短所なら、「自分の意見を持っている」という
長所に言い換える。

この検定を始めた、ある覆面調査会社代表は、動機を次のように語っている。

飲食店などの接客態度の良し悪しを調べ、欠点や短所を指摘しても、なかなか
改善は進まない。

「叱ってばかりでは、従業員もやる気が起きない」。。。
そう気づいて、方針転換。
ほめる所を探すことに切り替えた。

すると、従業員の働く意欲がみるみる高まり、業績も軒並み向上したと言う。

確かに、叱られると落ち込んでやる気も失せるが、ほめられると勇気が湧いて、
明るい心になるものだ。

自信もついてやる気になるから、ほめることは、能力を伸ばす大事な要素なの
だろう。

ある所に、周囲の意見や注意に少しも耳を貸さず、自分の意見こそ正しい、と
我を押し通す人がいた。
どんなにそれがマイナスか、周囲が言えば言うほど、頑なに全く聞こうとしない。

その頑固さに、ほとほと困り果てた回りの人達は、なんとかその人を正そうと、
上司の元に連れていった。
直接、叱ってもらえたら、少しはこたえて直るだろう。。。

その上司は、「我が強い」短所を持つその人に、こう諭されたと言う。

「君は、決断力があり過ぎる」。。。。

その一言で、ガラッとその人の態度が変わったと言うから、褒め言葉の力は恐るべし。

裏を返せば、それだけ自惚れ心が強いということだろう。

褒められてやる気を起こす「功」もあれば、自惚れて有頂天から転落の憂き目にあう
「罪」もある。

ほめる達人は、それを熟知した上でバランスよく使い分け、長所を最大限に引き出せる
人に違いない。

教えを聞かせて頂くほど、あきれるほど厄介で恐ろしいものが「慢」とつくづく知らされる☆

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重圧を楽しむ

「オリンピックを楽しむ」、という言葉がよく聞こえてくる。
連日、テレビ観戦している人にとって、オリンピックは、ヒヤヒヤドキドキ応援しな
がら、結構、楽しいもの。

しかし、選手の口から「楽しもう」などと聞くと、昭和生まれの私にはどうもしっくり
こない。

かつて、国の期待を一身に背負い、自分を追い込んだ末「これ以上走れません」
と自殺したマラソン選手もいた。

楽しむどころか、悲壮な覚悟とガチガチの緊張感で大変じゃなかろうか、とつい
思ってしまうのである。

ところが、この「楽しむ」は、オリンピックの場や雰囲気を「楽しむ」意味ではないと
言う。

「個々の選手に押し寄せるプレッシャーを楽しむことだ」。
これは長野五輪のスピードスケートの金メダリスト、清水宏保の言葉。。。

重圧は、選手にとって、サプリメント(栄養剤)のようなもの。
これは、五輪本番の試合モードに仕上げるために欠かせない材料であると。。。

筋肉も関節も最終仕上げの段階に入ったとき、重圧という強烈な刺激が入って
こそ、本物の張りが出てくる。
身体がそうなれば、気持ちにも緊張感がみなぎってくるという。

その過程を「楽しむ」ということらしい。

これは、実地に体験した者しかわからない心境だろう。

真央ちゃんも、あれだけ騒がれながら、笑顔で「金メダルを獲りたい」と言っている。

単なる夢や理想を語っているのではないだろう。
大衆を前に、宣言に足る十分な練習の積み重ねあればこそ。。。

言葉に裏打ちされた自信は、大きな目標に向かって妥協なき過酷な練習に打ち
勝った者にのみ、備わるものに違いない。

本物か否か、気持ちも覚悟も言葉から察するしかないが、少なくとも五輪で勝てる
選手には、目標達成を明確に言えるだけの血のにじむ努力の積み重ねと、重圧を
楽しむ冷静さがある。

翻って、法戦はいかに。。。
高い目標を掲げ、いかなる苦難も乗り越えて、光に向かって進んでこそ親鸞学徒。
ゴールのある、この世に二つとない、確かな悔いなき道なのだから☆

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